章 II · 読了約 2 分
なお堕ちえたツァディク
ラシと、偉大さの内なる脆さ
ラシは、最も重要な仕方でこの絵を複雑にする。
ハノクは義人であり、しかも脆かった。ラシは彼を、悪へ引き寄せられうる者として描き、それゆえハカドーシュ・バルーフ・フーは時ならぬうちに彼を取った、と語る。
これは、のちの神秘的高揚の傍らに据わりの悪く立つ些細な一項ではない。
それこそ、その高揚が人間的になる入口なのである。
もしトーラーが、ハノクは内なる葛藤なしに生まれ、身体は何の抵抗も示さず、欲望が他所へ引くことはなく、その意識は生まれつき天使的であった、と告げていたと想像してみよ。
彼の上昇は印象的ではあろう。だがそれは、私たち自身についてほとんど何も語らないだろう。
そうではなく、ユダヤの伝承はひとつの緊張を保つ。
彼はエロキムと共に歩んだ。
そして彼は歩むのをやめることもできた。
これは別のことである。
天使は、造られたときの本性に従ってその働きを果たす。ミカエルはある朝目覚めて、自分がミカエルでありたいかどうかを問うたりしない。ガヴリエルが、今日はゲヴラーが煩わしいと決めることもない。天使の存在は天使の使命と緊密に結ばれている。
人間は割れている。
あることを知り、別のことを欲する。
愛し、そして退く。
決意し、そして忘れる。
見て、そののち曇る。
涙とともにシャハリートを祈り、昼前には狭量になりうる。
ゆえに人間の聖性には、天使の聖性が同じ仕方では生み出しえないものが含まれている——帰還である。
人間は、一瞬前の自分とは別のものになりうる。
それはテシュヴァーの尊厳であり、同時に日々のアヴォダーの秘密でもある。
天使はその在るところに従って輝く。
人間は与えられたものに答えることができる。
光が降る。
人間は何かを返す。
この返しうる力こそ、ハノクが違って見えはじめるところである。
彼の脆さは、変容に先立つ気恥ずかしさではない。それは変容にその固有の意味を与えるものである。
のちのヘイハロート伝承がハノクはメタトロンとなると言うのなら、最も深い言明はこう単純ではない——
人が天使的になった。
むしろこうである——
背を向けることができた存在が、向き直ることにおいてあまりに忠実であったため、獲得された方向が天の形となった。
下で克服したものが、上で担うものとなった。
闘いは捨てられなかった。
それは代謝された。
摩擦が炎となった。