章 V · 読了約 1 分

受ける者としてのメタトロン

受託としての権威、決して起源ではなく

ヘイハロートカバラー

メタトロンは通常、巨大な権威の称号を通して思い描かれる。

御前の君。

偉大なる書記。

ナアル。

天上の管掌者。

他の天使の階級がその前に立つ存在。

だがこれらの称号の下には、あまり注意されないもうひとつの性質がある。

メタトロンは受ける。

彼は命を受ける。

知恵を受ける。

名を受ける。

天上の職を受ける。

王の信頼を受ける。

ゆえに彼の偉大さは、伝達の偉大さだけではない。

歪みなき受容の偉大さである。

これは彼を新たに見るための、最も重要な仕方のひとつである。

受容性を受動性と同一視する粗い理解がある。その型では、与える者が能動で、受ける者は空虚である。与える者が内容を持ち、受ける者は待つ。

カバラーはその型を粗いままにしておかない。

地は雨を受けるが、雨は見える形で小麦の畑を含んではいない。

畑は受けて変える。

胎は受けるが、その受容が胎動を始める。

弟子は教えを受けるが、労苦を通して、師が一度も言い表さなかったものを引き出しうる。

マルフートは自らに先立つすべてを受け、別の世界の始まりとなる。

受け手はただ伝達を終わらせるのではない。

受け手は、その伝達が何のためであったかを顕わにする。

メタトロンもまたそうである。

彼は名を受ける。

そしてこれほど並外れた忠実さで受けるがゆえに、彼はそれを下位の秩序へ担いうる者となる。

これは二次的な聖性ではない。

器の聖性である。

川は流れる。

部屋は保つ。

命は降る。

そして忠実な僕は、それが降り立ちうる世界をそれに与える。