章 XXI · 読了約 2 分

ひとつの人生の還る光

オル・ヤシャルが降り、オル・ホゼルが昇る

ハシドゥート

オル・ヤシャルが降る。

オル・ホゼルが還る。

この対は、ハノクを理解する最も深い道のひとつを差し出す。

存在そのものがオル・ヤシャルである。

あなたは自らの存在を著したのではない。

ネシャマーは与えられた。

身体は与えられた。

時は与えられた。

トーラーは与えられる。

最初の運動は上から来る。

霊的な危険は、目的のすべてが受容において果たされると考えることである。

そうではない。

何かが還らねばならない。

テフィラーが昇る。

ミツヴァーが昇る。

テシュヴァーが昇る。

人間の選択が昇る。

感謝が昇る。

歌が昇る。

世界が答える。

ハノクの生涯のすべては、この帰りへ圧縮しうる。

ハシェムが人にいのちを与える。

人は共に歩むことによって答える。

その応答があまりに完全になり、ついに受け手そのものが昇る。

それでもなお、もうひとつの段階がある。

還る光は、やがて降りてゆく構造を包み込み、住まいとして最も低い場所へ戻ってこねばならない。

ハノクが昇り、いかなる意味でも帰らないのなら、歴史は開いたままである。

彼の文字どおりの地上の生涯は終わる。

彼のトーラー上の意味は終わらない。

ゆえにハノクの最後の帰りは、必ずしも雲を割って降りてくる人物ではない。

それは、身体を伴うアヴォダーへの、彼の原理の帰りでありうる。

人がここに留まったまま透明になること。

世界が、掴むことなく受けることを学ぶこと。

権威が仕えることを学ぶこと。

技術が人間の尊厳を平らにするのではなく担うことを学ぶこと。

言葉がただ送信するのではなく答えることを学ぶこと。

知が征服するのではなく住まうことを学ぶこと。

家々が、シェヒナーが憩いうる場所となること。

それが、完成されたオル・ホゼルとして帰ってきたハノクである。