章 XI · 読了約 1 分
ナアル
尽きぬ受容性、尽きぬ可塑性
ヘイハロートカバラー
メタトロンはナアル、少年と呼ばれる。
それはほとんど逆説に見える。
なぜ天上の階梯において最も高められた形姿のひとつが、少年と呼ばれるのか。
無限者の前に立つ僕は、自らの源となりうる年齢に決して達しないからである。
エイン・ソフの前では、あらゆる被造物は受け取られたものでありつづける。
存在のあらゆる瞬間が新しい。
あらゆる命が現在である。
あらゆる使命が、あらためて聴かれねばならない。
この意味での若さとは、形づくられることへの開かれである。
完全な使者は、自らの過去の偉大さのなかで硬化しない。
彼は遣わされうるままでいる。
この区別は深い。
自らのうちに閉じた存在は、身元を積み上げ、ついに身元が壁となる。
僕は身元を契約として受ける。
彼が自分を知っているのは、誰の前に立っているかを知っているからである。
これはハノクのもうひとつの秘密かもしれない。
「育てられた」人、その名そのものがヒヌーフと響き合う人は、永遠に少年となる。
形づくられた者が、永遠に形づくられうる者となる。
最も高い教育とは、もはや学びえない地点ではない。
その人の構造全体が真理に対して受容的になった地点である。